伝統の重みと聖域 アーユルヴェーダの定義
インドと関わりだして二十数年、ここ2年半ほどは頻繁に行き来はするにしてもデリーにオフィスと居を構え自分を振り返る、よい時間がありました。
アーユルヴェーダの製法で処方されたオイルやジャム、粉薬は数十年ではなく、数千年の歴史の中で編まれたレシピです。
それぞれの正直なポリシーと強い信念を持つオーナーによって支えられている製造方法。
製造過程のある部分に現代のテクノロジーを利用したとしても、変えれないところはきちんとした行程を残しています。
よくアーユルヴェーダを学んだ人が、インドからオイルを簡単に輸入できないこともあり、自分でターメリックなどを入れ、またいろんな物を組み合わせハーブエキスのオイルを作る。
作るのが悪いのではなく、そこに自分のしている事の意味が理解できており、謙虚さがなければならないのでは?
やはり精神性の高さを問われるのです。偽者のアーユルヴェーダ、デリーには山と、インドにはうんとあるのです。
同じ事をしていては世界に通用しない。
たとえばキリにしても日本で手に入るハーブを混ぜてオリジナルを作る。
インドのものより効果が在るとは言わないにしても、キリのスタイルだけを売るのは悲しい。
アーユルヴェーダを切り売りし、そのコアを理解しないで偽者のパーフォーマンスは通用しない。
次の担い手には伝わらない、ということだ。軽いから
人間の愚かなところは歴史を見てもわかるように、学ばない、精神的な進化は止まっている。
伝統は文化ではない、その重みと尊厳さをもっとかみ締めるべきです。
人間は弱いもので特にアーユルヴェーダは伝統と統計学の(臨床の数)に支えられた人間の歴史の中の代表的な
伝承医学、そこに自分のレシピやいわゆるアイデアを投入たとして、歯がたたないのです。
その深さを理解できない人は、極端に言えば好みと自分のエゴでどんどん違う商品をファッションで入れ替えます。
王道とは何か、伝統しかない、大変だけれどもそこに祈りを入れないと、なにもはじまらないと思います、
自分に詐欺できないひとは、人にも詐欺できない、
セラピストは往々にして、素晴らしいセラピストほどある自信のピークを迎え、そして身体はひとつしかないことに
立ち止まり、それからいろんな方向への模索がはじまります。
資格を与える講師であったり、ネットワークビジネスの商品を販売したり、スピリチャルな方向へ向いたり、
それはその人の生まれた星の影響もあるかもしれません。
そこでセラピストの真価が問われます。
わたしがにしても同じこと
反省と謙虚さの元に働く、伝統の火を消さないよう次の世代に担っていく少しでものお手伝い。
毎日が反省。
アーユルヴェーダを利用しないでいかに自分の中の生きるコア、正義みたいなものを探し出すか、
消えないように,すりかわらないように。平凡であり、実直であること。
例えばわたしのポリシーの中に、製造現場とオーナーには必ず会い、話し、おなじコンセプトでないと取引を始めません。
来週からプシュカルへ。ローズウォーターのオーガニックのファーマーと商談です。あらかじめメールでどのようなポリシーであるかは確認できた上で実際に商談。
ヘナにしてもローズウォーターにしても、モリンガも農場からきます。決して工場からではありません。
でも多くの取引業者がケミカルの工場(きれいなオフィスで便利な場所)と商談します。
デリーにはピンからキリまでの商品があふれています、
その中で信念がある人と会い仕事するということは、かけがえのない縁。
どんな人と製造現場に会えるかうきうきしています。
アーユルヴェーダの製法で処方されたオイルやジャム、粉薬は数十年ではなく、数千年の歴史の中で編まれたレシピです。
それぞれの正直なポリシーと強い信念を持つオーナーによって支えられている製造方法。
製造過程のある部分に現代のテクノロジーを利用したとしても、変えれないところはきちんとした行程を残しています。
よくアーユルヴェーダを学んだ人が、インドからオイルを簡単に輸入できないこともあり、自分でターメリックなどを入れ、またいろんな物を組み合わせハーブエキスのオイルを作る。
作るのが悪いのではなく、そこに自分のしている事の意味が理解できており、謙虚さがなければならないのでは?
やはり精神性の高さを問われるのです。偽者のアーユルヴェーダ、デリーには山と、インドにはうんとあるのです。
同じ事をしていては世界に通用しない。
たとえばキリにしても日本で手に入るハーブを混ぜてオリジナルを作る。
インドのものより効果が在るとは言わないにしても、キリのスタイルだけを売るのは悲しい。
アーユルヴェーダを切り売りし、そのコアを理解しないで偽者のパーフォーマンスは通用しない。
次の担い手には伝わらない、ということだ。軽いから
人間の愚かなところは歴史を見てもわかるように、学ばない、精神的な進化は止まっている。
伝統は文化ではない、その重みと尊厳さをもっとかみ締めるべきです。
人間は弱いもので特にアーユルヴェーダは伝統と統計学の(臨床の数)に支えられた人間の歴史の中の代表的な
伝承医学、そこに自分のレシピやいわゆるアイデアを投入たとして、歯がたたないのです。
その深さを理解できない人は、極端に言えば好みと自分のエゴでどんどん違う商品をファッションで入れ替えます。
王道とは何か、伝統しかない、大変だけれどもそこに祈りを入れないと、なにもはじまらないと思います、
自分に詐欺できないひとは、人にも詐欺できない、
セラピストは往々にして、素晴らしいセラピストほどある自信のピークを迎え、そして身体はひとつしかないことに
立ち止まり、それからいろんな方向への模索がはじまります。
資格を与える講師であったり、ネットワークビジネスの商品を販売したり、スピリチャルな方向へ向いたり、
それはその人の生まれた星の影響もあるかもしれません。
そこでセラピストの真価が問われます。
わたしがにしても同じこと
反省と謙虚さの元に働く、伝統の火を消さないよう次の世代に担っていく少しでものお手伝い。
毎日が反省。
アーユルヴェーダを利用しないでいかに自分の中の生きるコア、正義みたいなものを探し出すか、
消えないように,すりかわらないように。平凡であり、実直であること。
例えばわたしのポリシーの中に、製造現場とオーナーには必ず会い、話し、おなじコンセプトでないと取引を始めません。
来週からプシュカルへ。ローズウォーターのオーガニックのファーマーと商談です。あらかじめメールでどのようなポリシーであるかは確認できた上で実際に商談。
ヘナにしてもローズウォーターにしても、モリンガも農場からきます。決して工場からではありません。
でも多くの取引業者がケミカルの工場(きれいなオフィスで便利な場所)と商談します。
デリーにはピンからキリまでの商品があふれています、
その中で信念がある人と会い仕事するということは、かけがえのない縁。
どんな人と製造現場に会えるかうきうきしています。
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