アーユルヴェディック 手作り石鹸
2008/07/19
インド的石鹸、手作り石鹸が本日届きました。
西洋とインドの融合、です。ずっしりハートに響きました。
そのレメディズ(手作りという意味)はここで創られました。
ひまわりさん→ココをクリック

ひまわりさん、ありがとうございます。
自分の子供ができたようで、喜びひとしおです。
わたしの追いかけている何かは、たぶんアーユルヴェーダ以前、シッダハの時代なので、
心が入った手作りのものは、最高に感激するのです。
愛する人のために、ハーブを摘み取り、潰し、手当てをする、
そんな単純な素朴な繰り返しの中で生まれてきたシッダハ
その作業には理屈などありませんでした。
人生は、何のために人間生きているのかな?
とそれに対して真摯に考えれる方は高尚です。
わたしたち女性、とくに毎日の食事、洗濯、子育て、肩書きの与えられない主婦を
背負う宿命(まだまだ、理解のある男の方は少ないと思ってますので、)
なんの使命を神から受けて、この世に生まれてきたのかな、
と考えることすら、毎日の喧騒のなかに轢かれてしまっている状態。
結婚してなくても、結婚してても、離婚していても、女としてのカルマみたいな
軋轢のなかに、引き裂かれている、母性、
肉体的にも、精神的にも、根っこにある母性。
母性=犠牲?縁の下の力持ち
女としての魅力がうしなわれてくる50前後から、おこる新たな葛藤、
枯れてゆくことにあらがう女としての性。
だからみんな、疲れている、本当に、泣きたいけれどこらえている。
感じないように無理して黙っている。
こんなふうにわたしたちの何千前の数え切れない人数の女の祖先がこらえたように、
我慢する人生....
カラダをマッサージさせていただくと、そんな女性の重さ、悲鳴ではなく、
無になったひとつの忍耐のような感覚が、がわたしの体にしみわたります。
わたしにとってカラダに触れさせていただくことは、そういった原点にたちもどる
神聖な儀式の様になりつつあります。
そんな流れの中で、
感動すること、熱狂すること、陶酔すること、
に引っ張られて人生を流れている、といっても過言ではありません。
今日はひまわりさんの石鹸に熱狂です。
お風呂で陶酔しますね。感想はまた後日!
これがわたしの自分は何のために生きているのか?の応えです。
西洋とインドの融合、です。ずっしりハートに響きました。
そのレメディズ(手作りという意味)はここで創られました。
ひまわりさん→ココをクリック

ひまわりさん、ありがとうございます。
自分の子供ができたようで、喜びひとしおです。
わたしの追いかけている何かは、たぶんアーユルヴェーダ以前、シッダハの時代なので、
心が入った手作りのものは、最高に感激するのです。
愛する人のために、ハーブを摘み取り、潰し、手当てをする、
そんな単純な素朴な繰り返しの中で生まれてきたシッダハ
その作業には理屈などありませんでした。
人生は、何のために人間生きているのかな?
とそれに対して真摯に考えれる方は高尚です。
わたしたち女性、とくに毎日の食事、洗濯、子育て、肩書きの与えられない主婦を
背負う宿命(まだまだ、理解のある男の方は少ないと思ってますので、)
なんの使命を神から受けて、この世に生まれてきたのかな、
と考えることすら、毎日の喧騒のなかに轢かれてしまっている状態。
結婚してなくても、結婚してても、離婚していても、女としてのカルマみたいな
軋轢のなかに、引き裂かれている、母性、
肉体的にも、精神的にも、根っこにある母性。
母性=犠牲?縁の下の力持ち
女としての魅力がうしなわれてくる50前後から、おこる新たな葛藤、
枯れてゆくことにあらがう女としての性。
だからみんな、疲れている、本当に、泣きたいけれどこらえている。
感じないように無理して黙っている。
こんなふうにわたしたちの何千前の数え切れない人数の女の祖先がこらえたように、
我慢する人生....
カラダをマッサージさせていただくと、そんな女性の重さ、悲鳴ではなく、
無になったひとつの忍耐のような感覚が、がわたしの体にしみわたります。
わたしにとってカラダに触れさせていただくことは、そういった原点にたちもどる
神聖な儀式の様になりつつあります。
そんな流れの中で、
感動すること、熱狂すること、陶酔すること、
に引っ張られて人生を流れている、といっても過言ではありません。
今日はひまわりさんの石鹸に熱狂です。
お風呂で陶酔しますね。感想はまた後日!
これがわたしの自分は何のために生きているのか?の応えです。
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